私的宗教 叶鋼教

個人的な信仰生活の記録です

信者の3つの義務「世界平和への貢献」と「健康的な生活」と「人類滅亡の推進」

3つの義務

宗教は信者に義務や戒律を課します。

それらの中には国家の法よりも教義を優先させることを主張したり、国の法を教義に合わせて構築している宗教国家もありますが、叶鋼教は基本的には信者の居住する国の法律を最優先させることを推奨しています。

法主義を唱えた上で、叶鋼教は3つの義務を信者に求めます。

 

それは「世界平和への貢献」「健康的な生活」「人類滅亡の推進」です。

 

黄金因果律の目的実現に貢献する活動

 この3つの義務は、叶鋼教における絶対者である黄金因果律の目的実現の為に役立つ活動です。

詳細は別の場所で説明しますが、叶鋼教の信者はこの3つの義務を果たす見返りに、黄金因果律からの幸運を得ます。

 

 

yegang-2nd.hatenablog.com

 

人類滅亡の推進

最初に一番理解が得られにくいと思われる「人類滅亡の推進」について説明したく思います。

 

叶鋼教は危険なカルト宗教なのか?

この目的を聞いた人は叶鋼教が終末思想を抱いた危険なカルト宗教であると疑い、警察に通報しようと考えるかもしれません。

ですが通報する前に、以下の私の弁明をお聞きいただければ幸いです。

 

オウム真理教人民寺院、ヘブンズゲート。

終末論的思想にはまり、無差別殺人、集団自殺、テロ行為を行った宗教が幾つもあります。

「人類滅亡の推進」などと聞けば、叶鋼教はそれらと同類の宗教で、まさに人々の殺害を目指していると誤解されても仕方ありません。

 

いいでしょう。仮に私が暴力的に人々を一人残らず抹殺しようとしているカルト野郎とします。

そして私は無事に諸々の過程を経て世界中に核爆弾を落とし、人類をほぼ壊滅させました。これで私の人類滅亡の目的は達成されたと言えるでしょうか?

答えはNOです。

 

核爆弾で地表の全てを吹き飛ばすことはできませんし、隈なく放射能汚染を広げることもできません。

文明が崩壊した後でも数百人が生き残ることでしょう。放射能汚染は致命的なダメージを人々に与えますが、汚染を一定期間回避して生き延びれば、汚染は急速に減衰していくので生き延びた彼らを死滅させるほどの毒性はありません。

 

実は人類史において、過去にも人類が数百人まで減った時期があると分かっています。絶滅寸前の数にまで減少しても、人類は70億人を超えるまでに繁殖できるのです。

昔と今では環境が違うかもしれませんが、それでも私は人類の叡智と勇気を信じています。彼らは幾多の困難を乗り越えて、文明を再興させることでしょう。

私が苦労して人類を数百人まで減らしても、人類はかつての繫栄を取り戻し、私の努力は水泡と帰します。

 

このように暴力的な手段で人類を滅ぼすことは不可能であると私は考えています。

ましてやテロ行為でせいぜい数百人の人々を殺害する愚行は、人類滅亡の実現には程遠い行為であります。

よって叶鋼教が過去のカルト宗教のような破壊活動を行うことはありえないと断言いたします。

 

何故に人類滅亡を推進するのか

 では、何故に叶鋼教は人類滅亡を推進するのか?

それは簡単に言えば、超自然的存在から「人類は是非とも滅びましょう」という啓示を受けたからであります。

 

ですが、この論理なら、空が青いのも郵便ポストが赤いのも啓示のせいにできてしまいます。

無敵の論法ですが、説得力も皆無です。

何でもかんでも啓示を受けたからの一言で済ませてしまわずに、この啓示にはどのような意味や理論的根拠があるのかを考えてみたく思います。

 

これは私が授かった啓示を我流で解釈したものなので、啓示を与えた側の意図を正しく汲んでいないかもしれません。そのことを承知した上で、以下をお読み願います。

 

私達の多くは、人類は今後も存続し続ける、滅びることはないと漠然と信じていないでしょうか?

遠い将来には滅びるかもしれないが、少なくとも自分や、自分の子や孫が生きている間は滅びることはないだろう。そう思ってはいないでしょうか?

人間は、今日と同じ明日が続くという不変バイアス心理を持っています。

 

ですが、実際には人がいつか死ぬのと同じように、人類もいつかは滅びます。

そして、その滅亡はいつ来ても不思議ではないのです。

 

人は自分の死期を意識した時、「終活」を始めます。

残りの人生をより充実して生きるために、安寧な最後の時を迎えるために、残された人が困らないように、自分の死を可能な限り満足いくものにしようという活動です。

 

私は人類も「終活」をすべきだと考えます。

人類がいつか滅びるとして、突然何の前触れもなく不意に滅び、後には何も残らないなどという滅び方は避けたいものです。

人類史は、長い宇宙の歴史の一瞬にだけ存在した歴史として誰にも顧みられることなく、跡形もなく消え去る。そんな滅び方は、あまりにも虚しいものです。

 

そこで人類のより良い滅びをデザインすることを叶鋼教は目指します。

具体的には人類が滅びた後も、人類の文化的遺産が何万年、何百万年後も残り続け、何者かに継承され続ける未来を目指します。

意図せずに滅んでしまうのを待つばかりでは、良い滅亡はやってきません。

叶鋼教は積極的に良い滅びを人類にもたらすことで、悪しき滅亡を回避することを目的としています。

 

 

世界平和への貢献

世界平和の貢献は道徳的に素晴らしいものであり、誰からも批判されない素晴らしい目的です。

 

叶鋼教は、どうして世界平和を目指すのでしょうか?

それは人類を滅亡させるためです。

 

叶鋼教は、人口が順調に増加し、文明が高度に発展してこそ、良い滅亡が実現できると考えています。

戦争で人口が減ったり、文明レベルが下がるのは困ります。

貧富の差が拡大して、優秀な人材が陽の目を見ずに、文化芸術、科学技術の発展が遅れるのは困ります。

世界の安定と発展。不幸な人間がいない世界。それこそが人類滅亡の良い土台を作ると考えています。 

 

以上の説明から分かるように、「世界平和への貢献」は「人類滅亡の推進」の一環であるので、本来はこの2つを独立させずに「人類滅亡の推進」にまとめるべきなのです。

ですが、敢えて「世界平和への貢献」を別に分けたのは、「健康的な生活」と「人類滅亡の推進」の2つだけを並べると対外的に刺激が強すぎるからです。

 

「世界平和への貢献」と「人類滅亡の推進」を並べることで、叶鋼教が反社会的な破壊活動を推進しているわけではないことを強調する狙いがあります。

 

また、叶鋼教の教義を深く理解しない人でも、この一見矛盾する2つが同時に掲げられているのを見れば、「本気で人類滅亡を目指していない。ウケ狙いの過激なことを言って注目されたいだけだろう」と勘違いしてくれます。

 

実際にはウケを狙っているわけではなく、本気で世界平和の延長線上に人類滅亡があると考えて行動しているのですが、狂信的なカルト集団と誤解されるよりは、アクセス稼ぎの炎上マーケティングと思われた方が安全であります。

 

健康的な生活

過酷な修行で身体を痛めつける修行を行う宗教は多々あります。

ブッダは苦行による修行を悟りの邪魔として止め、瞑想において悟りを得たと言われています。

叶鋼教においても、世界平和への貢献や人類滅亡を推進するためには、自らの心身が健康でなくてはいけないと考え、信者には健康的な生活を求めます。

 

多くの宗教で行われる断食や瞑想、滝行などは健康に良い面もあるでしょうが、叶鋼教は特定の健康法を肯定も否定もしません。

 

健康を意識し過ぎて変な健康食品や民間療法、怪しげな健康法にハマる人を揶揄して「健康の為なら命も要らない人」と言いますが、叶鋼教はそこまでの健康マニアになることは求めません。

 

叶鋼教が求める健康的な生活は、バランスの取れた食事、適度な運動、十分な睡眠です。

 

また、宗教の一部、特に自然主義やスピリチュアルな団体が忌避するような現代文明の利器や現代医療の利用も叶鋼教は積極的に推奨します。

健康的な生活を維持するには、それらに頼ることが必要不可欠と考えているからです。

具体例の幾つかを以下に列挙します。

 

  • 標準医療の推奨
  • ワクチン接種の推奨
  • 冷暖房、自動車、冷蔵庫、電子レンジ、スマホ、ルンバなど現代文明の積極利用
  • 電気水道ガス、通信、インターネットのインフラ整備された生活の推奨
  • 農薬、遺伝子組み換え食品、養殖産業の安全性への信頼

 

怪しげな加持祈祷や民間療法で信者から大金を巻き上げるなどもってのほかであります。