布教は行わない
宗教とは絶対者による救済を唱えるものです。
一般的な宗教では広く衆生を救済する為に、信者数を増やす布教活動に精を出します。
ですが、叶鋼教は私個人の救済だけを目的とした宗教なので布教活動は行いません。
叶鋼教を設計するにあたっては私以外の信者による信仰を想定してはいますが、それは客観的に見て第三者でも信仰に耐えうる宗教を構築する為に「仮想信者」の立場から考えているだけです。
実際には自分以外の誰かを信者にするつもりはありません
現代では個人的な信仰を持っている人が沢山います。
彼らは、ある意味で一人一派と思えるほど独自の神様概念を持っていたりします。
自分が龍神の化身で、日々幽体離脱して宇宙で悪霊と戦っているということを大真面目に記録しているブログを見たことがあります。
当時はよくこんなことを信じられるなと思っていたのですが、考えてみれば伝統宗教だって似たり寄ったりの奇抜なエピソードにあふれています。
自分で神話的逸話を作り、自分でそれを信仰する。自分で自分を救う宗教を作り上げているわけです。それを他人がとやかく言うのも野暮だと思うようになりました。
また、新興宗教において布教活動はトラブルの元でしかありません。
信者を社会から孤立させて精神的に支配し、身体的な無償奉仕と金銭的な財産供出を求める悪徳商法が社会問題にもなっています。
私は叶鋼教を平穏無事に信仰していたいので、トラブルの元でしかない布教活動は一切行うつもりはないのです。
それに黄金因果律を他人様に理解させるのもとても難しく、面倒なのでやりたくありません。
釈迦は悟りを開いたときに、それを他人に理解させるのは難しいと考えて話さなかったと言いますが、それと似たような気分です。
このブログを布教目的と勘違いする人もいるかもしれませんが、本ブログは飽くまでも超自然的存在である黄金因果律に捧げるつもりで書いているのであり、これを読んで誰かが叶鋼教に入信することは一切望んでいません。