私的宗教 叶鋼教

個人的な信仰生活の記録です

野良猫は不自然な存在であること

猫好きにも2種類の人がいます。
猫を室内で飼うべきというタイプと猫の野生を尊重すべきとして外に放ったりするタイプです。
野良猫について、前者は本来あり得ない異常な状態とし、後者は猫本来の姿であるとします。
 
私は前者を支持し、野良猫は不自然な存在であると主張しています。
 
野良猫がどれだけ悲惨な目にあうか、また自然の生態系をいかに破壊するかは少し調べれば分かることです。
子猫は蛇に丸のみされ、カラスに内臓をつつかれ、人間に虐待され、他の猫にバラバラに食いちぎられる。
成猫は寄生虫とノミまみれで、病気を抱え、縄張り争いで傷だらけ。
雨に濡れて震え、暑さに倒れ、飢えと病気とケガに苦しむ生活が死ぬまで続く。
そして野良猫は繁殖力が強く、すぐに10倍以上に増えるので、野良猫は過酷な同種同士の生存競争に晒されます。
 
不幸な野良猫を増やさないためには猫の去勢は必要です。
ですが外猫を猫の自然な姿と考えている人は、猫の去勢を自然に反すると反対したりします。
 
猫島と呼ばれる野生猫が大量に住む島が幾つかあります。
「猫の楽園」などと呼んでいる人もいるようですが、現実は「猫の地獄」でしかありません。
狭い島に過剰な密度で繁殖した猫たちが、マッドマックスや北斗の拳のごとき世紀末世界で殺し合う修羅の国です。
そのためボランティアが島内の猫の去勢手術をしていますが、それに反対する人が猫を隠したりして妨害するそうです。
すると、その猫が繁殖して元の木阿弥になり、猫の地獄が続きます。
 
去勢を不自然とする人が何を考えているかは、坂東眞砂子氏の「子猫殺し」というコラムを読むと何となく分かります。
このコラムでは
「(野良猫の去勢は)その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つ」
「だったら自分の手を汚して、生まれてきた子猫を殺せばいい」
と言い、去勢が残酷で、猫の本来の姿を奪うものであるように主張しており、猫を救うはずの行為を批判的に見ているのが分かります。
 
中には「猫を去勢するのは人間のエゴ」などと分かったようなことを言う浅薄な人もいますが、人間のエゴなのは野良猫を自然のまま放置することです。
野良猫なんて勝手に増えて、勝手に殺し合っていれば、自然に数が減るのですから、放置していてもいいのです。
人間に不都合がないから猫の地獄を放置する。これこそが人間のエゴです。
ですが心ある有志が、猫の地獄を無くすために猫の去勢を行っています。
猫の為に自分には何の得にもならないことをするのが「人間のエゴ」なわけがないのです