私的宗教 叶鋼教

個人的な信仰生活の記録です

始めに

はじめまして。

このブログは、叶鋼教信徒の私が日々の信仰生活を記録したものになります。

 

叶鋼はイエーガンと読みます。中国ではたまに見る個人名で、叶が姓で、鋼が名前です。

 

この叶鋼教という名を初めて聞いた方がほとんどだと思います。

それもそのはずで、叶鋼教は私が作った私的な宗教です。信者は私だけです。

 

叶鋼教の詳細は日々の記録を通して語ることにして、まずは私がどうして叶鋼教を作ったかという動機について説明させていただきたく存じます。

 

この記事を書いている2021年に私は最愛の人を亡くし、同時に生きる意味もなくしました。

 

人生に意味があると考えるのは幻想だという意見もありますが、少なくとも私は自分の人生は最愛の人を幸福にする為に存在すると思っていました。

 

生きる目的を失った私は巨大な喪失感を抱きながら、遺影の前で泣くばかりです。

 

私には友人も子もなく、ただ1人で余生を過ごす身となり、最愛の人を弔いながら死ぬまでの日々を過ごそうと決めました。 そこで私は気がつきました。 弔うとは何をすればいいのか、自分は全く理解していないのです。

 

私は幾つもの有名無名の宗教の教義、霊魂や死後の世界の定義、宗教儀式の解釈を調べました。 ですが、いずれも私には嘘くさく見えてしまいました。

 

もちろん宗教は超自然的な存在を前提として成立するものなので、それを嘘と言っては身も蓋もありません。 真偽不明なものを信じて飛び込むのが信仰というものです。

 

だから嘘でもいいのです。

ですが、それは本当かもしれないと思わせてくれる嘘であってほしいのです。

嘘くさい嘘では話になりません。

 

そこで既存の宗教が私を上手に騙してくれないのならば、自分で自分を騙せる宗教を作ろうと思いました。

 

こうして私は叶鋼教を作り、その教義に基づいた信仰生活を過ごし、最愛の人を弔うようになったのです