私的宗教 叶鋼教

個人的な信仰生活の記録です

読書

「宗教哲学入門」第十二章「絶対者の問題」の感想

量義治氏の「宗教哲学入門」(講談社学術文庫)の第十二章「絶対者の問題」の感想をメモする。 有的絶対者と無的絶対者 絶対者には有的絶対者と無的絶対者がある。 有的とは言語で定義できる言語的・対象的な神であり、無的とは言語で表現できない非言語的・…

「宗教哲学入門」第十一章「救済の問題」の感想

量義治氏の「宗教哲学入門」(講談社学術文庫)の第十一章「救済の問題」の感想をメモする。 十章は続く3章の総括的なものなので感想は割愛させていただきます。 宗教とは絶対者による救済です。 では宗教における救済とは具体的にどのようなものなのか? 救…

「宗教哲学入門」第九章「宗教批判の批判の哲学」の感想

量義治氏の「宗教哲学入門」(講談社学術文庫)の第九章「宗教批判の批判の哲学」の感想をメモする。 総論 宗教批判の批判を一言で要約すれば「フォイエルバッハやマルクスは宗教を論ずる資格がない」になります。 フォイエルバッハのように神を虚構とみなし…

無信仰の哲学

量義治氏の「宗教哲学入門」(講談社学術文庫)の第八章「宗教批判の哲学」の要点をメモする。 フォイエルバッハ フォイエルバッハは19世紀ドイツの哲学者であり、青年ヘーゲル派として有名である。 彼は信仰の時代は終わり、無信仰の時代が来たと唱えた。 …