天国の設計
現世利益と来世利益
宗教が約束する救済には現世利益と来世や死後の利益があります。
現世利益を約束するのは、国民性にもよりますが、信者を集めやすい利点があります。
ただし現世での利益を約束している以上、実際に信者が何らかの「ご利益があった」という実感を与えないといけないという欠点もあります。
その点、生きている間は苦しんで、その報いに死後の世界での幸福を約束するのは楽です。
現世で信者が何の利益を受けなくても、「死んでからいいことあるから」という言葉で自己献身を際限なく要求できるからです。
その最たる例は、自爆テロでしょう。
「自分の体に爆弾を巻き付けて神敵と一緒に爆死すれば天国に行ける」という甘言で命を捨てることを要求するのですから。
ただし死後の利益の場合は、信者に強く死後の世界をイメージさせ、それを信じさせないといけないので、多くの労力を要します。
叶鋼教の約束する救済は、基本的に現世利益です。
黄金因果律の波に乗ることで利益を得ることをうたっているからです。
ですが叶鋼教は死後の世界も検討しています。
天国コンペ大会
叶鋼教は信者各位に自由に天国を設計することを推奨します。
何故なら超自然的存在が私達の提案した天国を参照して天国を作るからです。
つまり既に神の作った天国が存在して、私達が一所懸命に天国に行けるように頑張るわけではありません。
天国は今はありません。ですが将来に私達の要望を反映した天国が作られ、私達がそこに招かれるわけです。
だから叶鋼教における天国は自由奔放です。各位が好き勝手な天国を妄想すれば、それがいずれ実現されるかもしれないわけです。
誰のアイデアがどれだけ採用されるかは超自然的存在の意向に従うしかありませんが、提案しなければ採用されないのですから、どんどん提案していくべきでありましょう。
叶鋼教の天国
叶鋼教が提案する、つまり私が提案する天国は以下のものです。
仮に人類滅亡時に累計総人類数が2,000億人だったとします。
原始時代から中世、近世、現代、未来に至るまでに存在した全ての人類を数え上げた総数です。
まずこの2,000億人が復活させられ、それぞれに固有の冥界が与えられます。
つまり自分が管理する世界がもらえるわけです。そういう冥界が2,000億個作られます。
冥界は冥界主の記憶を元に構築された世界で、2,000億人がストレスなく生活できる人口密度を維持できる程度の大きさを持ちます。
文明レベルは冥界主の生きた時代を基準に作られますが、冥界主が希望すれば未来の技術を導入することも可能です。
そして2,000億人の一人一人が2,000億体複製されます。つまり自分と同じ外見と人格を持つ完全なコピーが2,000億人いることになります。
そして彼らは他人の2,000億個の世界に1人ずつ送り込まれます。
つまり自分の冥界に2,000億人の全人類が存在します。そして全ての他人の冥界に自分が1人ずついます。
冥界主は自分の冥界にいる人間の生前の人生を閲覧することができます。もちろん冥界主は自分の人生も閲覧できます。
また他人の冥界にいる自分がその冥界でどのような暮らしをしているかの記憶を見ることもできます。そして他人の冥界にいる自分と会話することもできます。
冥界主を介して、ある冥界にいる自分の記憶を、別の冥界にいる自分に与えることもできます。
複数の冥界にいる全ての自分と記憶を共有し、会話できるのです。
冥界主は自分と自分の冥界にいる人間の年齢を自由に設定できます。
冥界には初期状態では自分が死んだ時の年齢で復活します。その後、冥界主ならば自分の意志で好きな年齢の姿に、他人の冥界においては冥界主の希望する年齢時の姿になります。
ただし初期状態では生前に自分が生きた年齢の範囲でしか設定できません。
例えば10歳で死んだ人は、最大で10歳にまでしかなれません。
10歳以上になりたい場合、冥界でも時間経過と共に成長するので、冥界で時間を過ごすしかありません。
冥界で過ごした年齢分は自由に設定可能です。
10歳で死んで冥界で10年過ごせば、0歳から20歳までに自由に設定できるようになります。
冥界主は自分の冥界にいる人間を追放できます。
一方、他人の冥界にいる自分は自由に出ていくことができます。
冥界主は自分の冥界にいる人間が自主的に出ていくのを止めることはできません。
もしくは冥界主が他人の冥界にいる自分を呼び戻すこともできます。ただし冥界主による呼び戻しは、その冥界で暮らす自分が拒否した場合は実行できません。
追放、もしくは出て行った人間は、自分の冥界に戻ります。
自分の冥界に自分が複数人いることになります。
自分の冥界に戻った瞬間、その自分も冥界主になります。
つまり自分の冥界には最大2,000億人の冥界主が存在できます。
冥界内では他人を傷つけたりすることはできません。基本的に冥界においては全ての人間は無敵です。ナイフで刺そうが、銃で撃とうが傷つくことはありません。そして病気になることもありません。
無敵なのを利用して、本物の兵器を使ったサバイバルゲームをするのもいいかもしれません。
また全ての冥界の住人は許可なく他人に話しかけたり、他人の半径3メートル以内に入ることができません。つまり自分視点から見れば、許可を与えていない人間の声は聞こえませんし、その人間が自分に近づくこともできません。
例外的に冥界内では自分だけが自分を傷つけたり、殺すことができます。
各冥界において2人以上存在できるのは冥界主だけなので、冥界主同士での殺し合いは発生するかもしれません。
他人から拒否されやすい人間は、必然的に冥界に沢山の自分を抱えることになります。
自分と仲良くできる性格の人間ならば問題ないでしょうが、自分とも争わずにいられない人間は、自分ばかりの世界で自分同士の殺し合いを延々と続ける地獄を作ります。
更なる例外処置として、最低1人だけは冥界主が存在しないといけないので、どれだけ凄惨な自分同士の殺し合いをしても、1人だけは生き残ります。
自分と他人の双方が希望すれば、冥界を抜けた人間が再度冥界に入ることができます。
ただし、冥界主同士の殺し合いで自分の人数が減っている場合、他の冥界に送り出す自分がいないかもしれません。
その場合はどれだけ希望しても自分を送ることはできません。
救済措置として自分を再複製できます。
この場合、後述する代理人を務めたり、冥界管理に関わる役割を果たすことで得点を稼ぐと、一定の得点を消費して自分を複製することができます。
知的障害や生まれながらの身体の病気は治療された状態で復活します。
生前の病気や痴呆などの脳機能障害も治った状態で復活します。
すると障害に由来する個性や性格も消失することになり、それは生前の自分を否定することになるかもしれません。障害を持つ人間をなくすことが「正しい天国」なのか?という疑問もあるでしょう。
そこで叶鋼教の天国では、この難しい問題を自己判断に委ねたいと思います。
生前に持っていた障害や病気は、本人の意志で自分に与えることができます。
例えば生前に両腕のなかった人が両腕のある状態で復活し、両腕の無い自分が偽らざる自分だと思えば両腕をなくすことができます。
例えば生前に知的障害を持っていた人は、自分の生前の人生を知恵のある立場から閲覧し、あの自分が良いと思えば、知的障害を自分に付与できます。
結核や喘息で苦しむこともできますし、重病で寝たきりになることもできます。
苦痛や不快感を体験することはできますが、どれだけ辛くても死ぬことはありません。
基本的に冥界主が自分に与えた障害や病気は全ての冥界にいる自分にも反映されます。
ですが他の冥界に暮らす自分については、その冥界の冥界主が付与された障害や病気を再度取り除くこともできます。
それが気に入らなければ、その冥界を出ていき自分の冥界に戻るといいでしょう。自分の冥界に戻った瞬間に障害や病気の設定が改めて付与されます。
基本的には冥界主と他の冥界に暮らす自分は同一人物なので意志統一されていますが、生活環境の違いから冥界主の方針に従いたくない場合もあります。
各冥界に暮らす自分は4年に1度、24時間初期状態に戻され、冥界主の自分により付与された障害や病気を拒否することができます。その他の設定は自分の暮らす冥界主の望む設定になります。
冥界主である自分と自分の暮らす冥界の冥界主、この両者の設定に従いたくない場合は、後述する得点を消費することで独自の冥界を与えられて独立することも可能です。
独自冥界を得るための得点を稼ぐには数百年間を要するでしょうが、永遠に近い時間がある冥界においてはわずかな時間です。
自分がいなくなった空席には、冥界主である自分(独立しているので、正確にはかつて自分だった自分ではない者になります)の複製が送り込まれます。
また性同一性障害や躁鬱気質などの生活に支障を及ぼさない障害は初期状態ではそのままになります。
何故なら、これらを障害とみなすかどうかは時代や文化圏の価値観に依存することだからです。
中世や現代の中国、ロシアでは同性愛は脳や身体の異常が引き起こす障害でしょうが、欧米では個性の1部であり障害ではありません。
そして、未来の世界では現在は障害とみなされて治療対象になっていることが、個性として治すべきものではないとされているかもしれません。
天国設計の悩みどころですが、設計時点での常識に基づいて作られた天国が後世にはバカみたいに見えるというものがあります。
伝統宗教の唱える天国に違和感を覚えるのは、これが原因です。
そのため、叶鋼教の天国は杓子定規に「生活に不便な障害だけを直す」ことにした上で「その障害を自分に付与できる」という設計にしました。
ただし、この「生活に不便」も曖昧な基準です。
人工の義手や義足が発展した未来では、四肢欠損障害は「生活に不便」ではなく、むしろ健常者よりも優れた運動性能を誇る長所になっているかもしれません。
全時代の人類を復活させる天国は、全時代の常識をどのように処理するかという大きな問題を抱えており、叶鋼教は今後もこの問題の検討を行って天国の仕様を改定していく所存です。
生前に0歳で死亡した人のように、初期状態で自己決定ができない人の場合は、代理人が冥界主になることができます。
代理人は超自然的存在の行う代理人適正試験に合格した者が選ばれます。
人格に大きな問題がない限り、親兄弟、親戚から代理人が選ばれることでしょう。
本来の冥界主が自己判断できる状態になった時に代理人権限は消失します。
例外的状況の1つとして、自分の年齢を極端に下げて0歳になったり、自分の知的障害や痴呆を自分に再付与したりして、自己判断ができなくなった場合です。
この場合、4年に1度、24時間だけ強制的に初期状態に戻され、自己の判断で設定を継続するか選択します。
また同一人物であっても冥界で生きる内に、元の自分からはかけ離れた人格を獲得する場合もあります。
魂のレベルでの同一性が失われると、別の個体認定されて、その個体用の冥界が作られ、2,000億体の複製が各冥界に送られます。
元の個体とは完全な別人として存在することになります。
他の冥界で生活する自分が独立した場合、不在になった自分の席には、冥界主の複製が作成されて送られます。
先ほどに論じた得点消費による独立が自主的な独立ならば、この独立は強制的な独立です。
この冥界での生活に耐えられない人も出てくることでしょう。
例えば自分の信じる宗教の開祖が自分の想像とかけ離れた人物だった場合、自分の信念が崩れて心が折れてしまうかもしれません。
現実に耐えきれずに狂気に陥っても、脳が修復されて強制的に正気に戻らされてしまいます。
そういう人は自分を封印することができます。何の思考もせず、誰からも見えず、誰からも触れない。いないも同然の状態になれます。
封印状態の人間は冥界主にも認識できなくなり、人生を閲覧されることもなくなります。
自分を封印すると、100年に1度だけ24時間、強制的に封印を解かれて思考だけ回復します。見えない、触れない、閲覧できない状態は維持されています。考えられる状態に戻った上で、封印を継続するか確認されます。
永遠の世界における100年に1度の覚醒は、本人の意識では永遠に目覚めているのと同じなのですが、他人から干渉されないという点では非封印状態と異なります。
この冥界では、例えば子供や妻を不慮の事故や事件で亡くしていると、自分の冥界、および子供や妻の冥界で彼らと再会できます。
そこで生前にできなかった家庭生活ができます。子供の成長を見守り、妻との語らいを楽しむといいでしょう。
自分の冥界では彼らの年齢を固定して、永遠の家族団らんを楽しむのもいいでしょう。
子供や妻の冥界では彼らが主なので、子供が成長して独立していくのを送り出すのもいいでしょう。
意外と仲たがいして、自分が相手の冥界から追放されたり、子供が自分の冥界から出て行ったりすることもあるでしょうが、それもまた人生です。
この冥界では過去から未来までの偉人も全て存在しています。そして彼らが自分の冥界にいる限り、その人生を俯瞰的に完全に閲覧できます。
人類の歴史の全てを知ることができます。
彼らと対話できれば学ぶところも多いでしょう。
恥や欺瞞の多い人生を歩んできた者は、他人に見られることに耐えきれずに自分の冥界に閉じこもることでしょう。
恥ずべき自分で一杯の世界で永遠に生きるのもいいでしょう。
冥界での生活で、仕事をしたり、文化芸術活動に励むことも可能です。
飲食せずとも死なないので、本人が希望すれば何もしなくていいです。
ですが飲食物や家電、娯楽品を入手するには、超自然的存在に要求しないといけません。
その為には代価として得点を消費する必要があります。
得点は先述の代理人のような冥界の管理を手伝うことで獲得できます。
他にも文明的行為に対しても得点が発生します。
橋を作ったり、掃除をしたり、工場で車を組み立てると得点がもらえます。
絵を描いたり、小説を執筆したり、旅行したり、スポーツをすると得点がもらえます。
基本的に好きなことをすればいいのです。それが文明的活動とみなされれば得点になります。
超自然的存在に道徳観念はないので、窃盗や詐欺、戦争でさえも得点になります。
もっとも誰がどんな犯罪をしたかは冥界に住む全人類に把握されてしまうので、よほど痛快な娯楽型犯罪でもない限り、下手な犯罪行為は自分の冥界暮らしを不便なものにするだけでしょう。
以上が叶鋼教が提案する天国です。
遥か未来に超自然的存在が私の提案をどこまで採用するかは、死んでからのお楽しみです。
ちなみに叶鋼教を信仰していたからといって、この天国で優遇されることはありません。
善人も悪人も、信者も非信者も全員同じ天国に放り込まれて、平等に天国の法則に従うことを求められます。