私的宗教 叶鋼教

個人的な信仰生活の記録です

天国の設計2

人間が上流工程を担当し、超自然的存在が下流工程を担当する

宗教は個人の救済だけではなく、全体の救済も目指すものです。

叶鋼教における全体の救済手段として天国の仕様を検討し、超自然的存在に対して私達の考案した天国の実装を要求します。

 

他の宗教においては天国を考案するのも、創造するのも絶対者の役割です。

ですが叶鋼教においては考案するのは私達であり、超自然的存在は創造するだけです。

  

前回までの設計仕様は以下をご覧ください。

 

yegang-2nd.hatenablog.com

 

自殺の防止

死んでから素晴らしい世界が待っているなら今すぐに死のう。

生きているのは苦しいばかりだ。死んで、より良い世界に行こう。

何とも乱暴な考えに思えるかもしれませんが、実際にこのような動機で自殺する人は沢山います。

 

例えばタイの自殺率は高いことで知られますが、来世信仰を持つ彼らは「今の人生は悲惨だ。死んで生まれ変われば、次の人生は今よりマトモかもしれない」という動機で自殺してしまいます。

終末思想のカルト信者が集団自殺するのも、死んで天国に行くためです。

 

キリスト教では自殺を禁止することで、このような死にたがりを防止しています。

禅は生きて修行することが大事なので、即身仏という例外を除いて死ぬ理由がありません。

 

叶鋼教における天国は万能の楽園であるが故に、自殺対策を仕様に含める必要があります。

正直に言えば、私の考えた妄想の天国を信じて自殺するようなバカがいるとは思えませんが、安全対策は万が一の事態を想定して作らないといけません。

 

前回に冥界においては得点を消費することで様々な恩恵があることを説明しました。

冥界において生存するだけなら何もしなくていいですが、何かの楽しみを得たいのならば万事において得点を要求されるのです。

 

そこで自殺した場合は得点を大量に没収するという規則を設けたいと思います。

この得点は莫大な量にします。冥界で1万年活動しないと得られないほどの得点を強制的に徴収されます。

冥界で稼いだ得点の9割を必ず奪い取られ、それが約1万年以上続くことになります。

 

得点による恩恵の素晴らしさを強調することで、自殺により得点を失うことを愚行だと信者に認識させます。

 

マネーゲーム

 多くの宗教は経済活動やお金を不浄なものと嫌い、天国ではお金が要らないなどと喧伝します。

 

ですが叶鋼教では、貨幣現象は人間心理を反映した人間ならではの重要な文明行為と考えます。

これをなくすことは「人類文明の保存」を掲げる叶鋼教の望むところではありません。

 

叶鋼教の提案する冥界は、お金がなくても死ぬことはありません。

飲食せずとも死なず、身体はいかなる外部からの干渉でも傷つくことはなく、永遠に何もしなくても問題ありません。

ですが冥界で「楽しみ」を得るためには、あらゆる局面でお金が必要になります。

冥界におけるお金とは「得点」のことです。

先にも言及したように冥界では食べ物、娯楽、様々な権限は得点を消費することで得られます。

 

この得点は私達の世界のお金と同様に「交換」「貯蓄」「価値の基準」の機能を持ちます。

冥界では得点を使ったマネーゲームを行えます。

 

冥界における中央銀行の役割を果たすのは超自然的存在です。

彼らだけが得点を発行する権限を持ちます。

ですが冥界主は独自通貨を発行し流通させる権限を持ちます。

超自然的存在は冥界の文明活動の総量を判断して、各冥界の独自通貨に価値をつけて得点と交換します。

例えば冥界Aの貨幣は1単位あたり得点1000と交換し、冥界Bの貨幣は1単位あたり得点3としか交換しません。

複数の冥界間で貿易することもできます。

 

基本的に独自通貨の管理や投資は経済活動が得意な住人に委託するのがいいでしょうが、人選を誤ると冥界経済が崩壊するので冥界主の選別眼が大事になります。

 

空想存在の実在性

 小説や神話、創作の世界にしか存在しない人物というものがいます。

ですが、そのような空想の存在と実在する他者の区別がどれだけできるだろうか?という哲学の課題があります。

 

個人の主観においては、実在する他人も見聞したエピソードをもとに「こういう人物なのだろう」と脳内でイメージしています。

小説などの作り話でイメージした人物と何の差異があるのか?という問いかけです。

 

冥界においては、冥界主だけが実在しない存在を実体化させることができます。ただし実体化には得点を消費します。

これを冥界の訪問者と呼びます。

ただし人間から大きく離れた人格や外見を持った存在は実体化できません。

訪問者は飽くまでも疑似的な人間として存在を許されます。

 

訪問者は冥界主のイメージする人格が投影されますが、独自の自我を持ち、必ずしも冥界主の思い通りはできません。

訪問者は他の冥界に移動することはできません。ただし例外的に冥界主の存在しない特別な冥界に移動できます。

訪問者は冥界主の冥界を不満に思った場合は、この特別な冥界に移動して周囲の干渉を拒絶できます。