私的宗教 叶鋼教

個人的な信仰生活の記録です

叶鋼教にとっての祈りの役割

今回は叶鋼教における祈りの役割について説明したいと思います。

 

叶鋼教は全ての宗教と共存するものであり、叶鋼教独自の祈りの言葉を持ちません。

 

祈りとは神に対する呼びかけです。
しかし各宗教において崇める神は異なります。
例えば、ヤハウェ絶対神を信仰している人にとっては、般若心経なんて無意味な独り言でしかありません。
異教徒の信仰するニセの神に対する祈りは、霊的な意味を持たない単なる詩の朗読です。

 

ですが、叶鋼教では全ての祈りに意味があると解釈しています。

 

叶鋼教は神の存在を前提にしません。
よって祈りも神に対する呼びかけとはみなしません。
叶鋼教は祈りを「目印」とみなします。

 

遥か未来において超自然的存在は、過去の世界に生きていた人々を再生します。
その際には、過去の世界を検索して、人間を見つけないといけません。

 

ところで、皆さんはインターネットで検索をする時に、膨大な情報の中から目当ての情報をなかなか見つけることができないことがあるかと思います。
そんな時に、検索タグがついている情報は比較的容易に見つけ出すことができます。

 

祈りは、その検索タグと同じ役割を果たします。
過去の世界には天文学的な情報量が存在します。
超自然的存在にとって、人間も人間以外の生物、昆虫、細菌、微生物、植物、細胞も大差はありません。

そんな無限に存在する生物の中から「人間」だけを選ぶ際に役立つのが「祈り」です。

人間以外の生物は祈りません。
超自然的存在は、祈りの言葉を頼りに膨大な生物の中から人間を発見します。

 

もちろん人間を検索する手段は祈りだけではなく、様々な形で残された「生きた痕跡」も有効です。
しかし祈りの言葉は同じ言葉が時代を超越して繰り返し唱えられることで、抜群の検索性を持ちます。


存在しない何かに対して同じ言葉を繰り返し唱える。
この祈りの特殊性が、人間を見つけ出す為の絶好の「目印」になります。
ですから、どんな神に対する祈りでも意味があるのです。